読みもの
なぜトラックなのか――異世界転生ものの冒頭を読む
異世界転生ものは、ほぼ例外なく一度の死から始まる。おなじみのトラックの場面を入り口に、このジャンルが読者に何を約束しているのか、そして「異世界転生鑑定所」がなぜ勇者と魔王の席をあえて空けておいたのかを書いてみたい。
トラックは扉である
異世界転生ものを何作か読めば、すぐに見慣れる場面がある。ごく普通の会社員や学生が道を渡ろうとしてトラックに轢かれ、気がつけば見知らぬ空の下に横たわっている。あまりに繰り返されるので、ファンのあいだではトラックをひとりの登場人物のように呼ぶネタまで生まれた。過労や病気、落雷がきっかけの作品も少なくないが、ジャンルを象徴するイメージとして残ったのは、結局トラックだった。
トラックが生き残った理由は想像がつく。劇的でありながら、説明のいらない死だからだ。誰が悪いのかを問う必要も、長い闘病を描く必要もない。ひとつの段落で前世を閉じ、次の段落で新しい世界を開ける。しかもトラックは、私たちが毎日すれ違う日常の風景の一部だ。ファンタジーへの扉が魔法の衣装だんすや鏡ではなく、通勤途中の横断歩道にある。その平凡さこそが、このジャンルの呪文になった。
だからトラックの場面は、たいてい作品全体でいちばん早く通り過ぎる場面でもある。作者も読者もそこに長くは留まらない。大事なのはその先だからだ。「異世界転生鑑定所」をつくるとき、私たちが最初に決めたのは、誰もが急いで読み飛ばすこの短い場面を、あえて逆に掴まえてみることだった。
事故の経緯を尋ねる理由
そのため最初の質問は、到着ではなく事故そのものを扱う。選択肢は三つ。車道に飛び出す子どもを見た瞬間、頭より先に体が動いていた感動の人間の盾。スマホで「トラックに轢かれて転生するweb小説」を読みながら歩いていて、本物のトラックに気づかなかったスマホゾンビ。そして異世界へ旅立つ気満々で、いちばん乗り心地の良さそうなトラックを事前にリサーチしておいた謎のトラック品定め。
この三つは、ジャンルに対する三つの態度でもある。一つ目は古典的な主人公の資格、つまり善行の見返りとして二度目の人生を授かるという物語。二つ目は、このジャンルを読みすぎた読者自身への自虐ネタ。三つ目は転生そのものを計画する人物で、このジャンルが抱える願望をいちばん正直にさらけ出している。同じトラックでも、誰が、なぜその前に立っていたのかによって、まったく別の人間になる。
異世界ものの冒頭は、もともと短い自己紹介の役目を果たしている。前世でどんな人間だったかを数行でまとめて先へ進む、あの部分だ。その数行を設問に置き換えると、回答者は自分の主人公のプロローグを自分で選ぶことになる。性格を直接問うかわりに出来事を問う。このやり方は、テスト全体を貫く原則になった。
チートとリセット、やり直したいという気持ち
転生の後には、もうひとつのお約束がついてくる。いわゆる「チート」と呼ばれる圧倒的な能力だ。神から授かったスキルにせよ前世から持ち込んだ知識にせよ、主人公は新しい世界のルールから少しはみ出した何かを手にして出発する。2010年代、日本と韓国のWeb小説プラットフォームでこのジャンルが大きく広がったとき、読者がまず期待したのもこの部分だった。
ただ、チートの魅力を「強くなりたい」とだけ読むと半分を見落とす。転生ものの願望は、強さよりも「やり直し」に近い。すでに受け取ってしまった成績表やキャリア、固まってしまった人間関係をいったん降ろして、最初から別の条件で生きてみること。チートは、その再出発が今度こそ無駄にならないという保証書のようなものだ。韓国のWeb小説で回帰・憑依・転生がひとまとまりのように愛されてきたのも、同じ文脈で読める。
鑑定所の結果文は、このお約束を少しひねって書いている。古代文字の解読者の主人公は、筋力3、魔力2の虚弱なニート青年として転生するが、「神がかったフィーリング的なフィーリング」という隠しチートスキルを授かる。救護所の魔獣飼育員は、窮地で前世に観ていたドロドロ昼ドラを思い出して皇太子の実の父を名乗り、直後に「ドロドロチートを盛りすぎた」と心の中で後悔する。チートは確かにある。けれど、それが二度目の人生をきれいに片づけてくれるわけではない。
勇者ではない人たち
ジャンルの重心は、時間とともに少しずつ移ってきた。初期の転生者は、たいてい勇者として召喚されるか、魔王を倒す運命を背負っていた。ところがいつの頃からか、タイトルに店主、鑑定士、農家、料理人、薬師といった職業が並びはじめる。世界を救うかわりに、世界の中で働き、食べ、暮らす物語。よく「スローライフ」と呼ばれる流れだ。
この変化は、読者が求める「やり直し」の形が変わったサインとして読める。戦争のただ中よりも、自分の適性がきちんと活かされる場所、働いた分だけ公正に認められる職場のほうが、魅力的なファンタジーになったということだ。この世界で何がいちばん足りなかったかによって、異世界の夢も形を変える。
鑑定所の24の結果は、この流れの上にある。融通の利かない入国審査官の主人公は、剣と杖のかわりに虫眼鏡と決裁印を握るギルドの行政官だ。共感力0%の魔物鑑定士は英雄神話ではなく魔晶石の歩留まりデータでダンジョンの等級を決める。生真面目な探索ガイドのモットーは「無災害達成! 定時退勤!」。呪われた墓所の墓守、闇の実力者・軍師、ブレーキ皆無の二重スパイまで、誰もが勇者パーティの隣の席や路地裏で、自分の仕事をしている人たちだ。
最後までたどり着けない勇者の道
面白いのは、設問のストーリーそのものは忠実に勇者の道をなぞっていることだ。エルフが近づいてきて「勇者様!」と呼び、目の前で決闘が始まり、怪しい古代魔法陣を抜けて伝説の剣エクスカリバーを見つけ、その剣を守っていた巨大モンスターと向き合う。王道ファンタジーのチェックリストを、ほぼそのまま踏んでいくわけだ。
ところが七つ目の設問は「作戦は失敗し、あなたは死にかけている」から始まる。勇者の物語は完走されない。そしてこの最期の言葉が、結果の役割を決める。正直に正体を明かすのか、肉体は消えても魂は剣に宿ると彼女を安心させるのか、異世界で死んだら土曜に戻るのか、まさか月曜なのかとぼやくのか。前半の六問が八つの世界のうちどこに落ちるかを決め、この遺言が、その世界で体を張って守る人、頭で動く人、誰も行かない道を行く人のどれになるかを選ぶ。
勇者と魔王の席を空けたのは、単なるへそ曲がりからではない。あの二つは、結末があらかじめ決まっている役なのだ。勇者は勝ち、魔王は負ける。一方で、入国審査官や墓守の一日がどう転ぶかは誰にもわからない。結果文の登場人物たちが揃いも揃って小さな選択ひとつで事を大きくし、窮地に陥るのも、決まった結末のない席でしか書けない物語だからだ。
二度目の死のあとで
トラックで始まり、もう一度の死で終わる。この構成は意図したものだ。転生ものとは結局もう一度生きてみる物語で、結果画面はその二度目の人生のあらすじにあたる。それぞれの結果に添えたアドバイスが、大げさな教訓ではなく「水なのか火なのかくらいは見極めてから飛び込みましょう」のような一文で終わるのも、そのためだ。
もちろん、これは診断ではなく遊びだ。七回の選択でひとりの人間を決めつけることはできないし、そのつもりもない。ただ、トラックの前に立っていた理由をひとつ選んでみることは、いまの人生で何をやり直してみたいのかを、ほんの少し思い出させてくれる。私たちがこのジャンルを長く好きでいる理由も、たぶんそこにある。