読みもの
ゾンビより怖いもの――アポカリプス物語が問う「生き残る条件」
アポカリプスの物語を見終えたあとに残る問いは、怪物の正体ではなく人の選択です。「アポカリプス生存確率テスト」を作りながら考え続けてきたことを、ジャンルと実際の設問を行き来しながら書いてみます。
終末は舞台で、主人公は普通の人
ゾンビでも大洪水でも正体不明の疫病でも、アポカリプスものを長く楽しんできた人なら一度は気づくことがあります。怪物にはすぐ慣れてしまう、ということです。物語が少し進めば、ゾンビがどう動くかはもう分かっている。そこから先に目を離せなくなるのは、倉庫の扉の前で起きる人間同士のもめごとです。誰が扉を開けようと言い、誰が反対し、誰が黙って自分の分の缶詰をカバンの奥にしまうのか。終末とは、そういう場面を成り立たせるための舞台装置に近いものです。
だからこのジャンルの主人公は、たいてい特殊部隊員ではなくコンビニの店員や会社員、受験生のような普通の人です。普段は表に出ない性質が極限状況で大きく見えるだけで、彼らの判断は私たちが月曜の朝に下す判断とそれほど変わりません。テストを設計するときに最初に決めた原則もここから来ています。武器の扱い方や専門的なサバイバル技術は問わず、誰もが今夜にでも直面しうる選択だけを問うことにしたのです。
最初の設問のある選択肢が、その原則をよく表しています。午前4時、窓の外で何かが割れる音を聞いて「もう一度眠りにつく」を選んだ人の心の声は「酔っ払いか猫でしょう。いちいち神経を尖らせていては眠れません。」です。どこも間違っていません。実際、ほとんどの夜はそれで正しいのですから。災害ものが怖いのは、まさにその理にかなった日常の判断が、ある一夜だけは通用しないというところにあります。
カバンの最後の一枠と、四日分の食糧
溜め込むか、分け合うか。これはアポカリプス物語でいちばん古い対立です。スーパーの棚が空になっていく場面はほとんどの災害ものに登場し、物語はやがて誰が溜め込み、誰が分けたのかを追いかけていきます。私たちはこの対立を二回に分けて問いました。まずは一人のとき。30秒以内に家を出なければならず、カバンに一枠だけ余っているとしたら、浄水フィルター、現金の束、家族のアルバム、工具セットのどれを入れるか。
アルバムを選んだ人の理由は「何のために生き延びるのかを忘れれば、持ちこたえる意味がありません。」です。生存だけを考えれば損な選択に見えますが、多くの災害もので最後に人を歩かせるのも、まさにそういう品です。設問の重みづけも、この選択で冷静さと社会性が上がる代わりに判断力と実行力が下がるように組んであります。すべての選択肢が何かを上げ、何かを下げる。代償のない最適解が一つでもあれば人はそれを探そうとし、性格を問うテストが正解当てクイズに変わってしまうからです。
二回目は集団のときです。「一行は六人。残る食糧は四日分。安全地帯までは最低でも十日。」ただちに配給を半分に減らすか、道中で調達する方法を探すか、全員を集めて投票にかけるか、いちばん弱い人に多く渡すか。この四つは、実は四種類のリーダーシップです。計算を信じる人、総量を増やそうとする人、合意を信じる人、一人の脱落が全体を崩すと考える人。どれにも代償があり、だからこの設問に正解はありません。
信じるか、確かめるか
ゾンビ映画を観たことがある人なら誰でも知っている場面があります。仲間の一人が腕を押さえていて、噛まれたのかと聞かれると違うと答える場面です。観客はたいてい何かを隠していると察しますが、画面の中の人たちには分かりません。私たちはこの場面をそのまま7問目に持ち込みました。今すぐ傷を見せてほしいと言うか、何も言わずに距離を取るか、信じて普段どおりに接するか、看病を買って出てそばを離れないか。
面白いのは、どちらの側も集団を守ろうとして言っていることです。確かめる側は「信じたい気持ちとは別に、確認しなければなりません」と言い、信じる側は「疑いが広がれば集団のほうが先に死にます」と言います。災害ものの共同体は、感染より先に不信で崩れることもあれば、無邪気な信頼のせいで崩れることもあります。物語ごとに軍配の上がる側が違うので、この場面は観るたびに考え直させられます。
信頼の問題は人だけの話ではありません。最後の設問は、出所の分からないラジオの座標と、北へ200kmの地点にあるという収容所です。すぐに出発する人、数日聞き続けて録音か人かを見極める人、今いる場所を要塞化する人に分かれます。確かめようのない情報を前にどう動くかは、災害でなくても毎日試されている力です。
S+からFまで――生存に等級をつけるということ
韓国のウェブ小説やウェブトゥーンに親しんできた読者にとって、S級、A級、F級といった等級表記はおなじみの文法です。覚醒した能力者に等級がつき、最下位から出発した主人公が上へと登っていく物語は、ジャンルの柱の一つと言えるほどありふれたものになりました。等級は残酷ですが明快です。複雑な人間を一文字に要約し、その要約が間違っていたと証明していく過程がそのまま物語になります。
テストでもこの文法を借りましたが、順序は逆にしました。タイプを先に決めて確率を貼りつけるのではなく、8つの回答から冷静さ・判断力・知覚力・適応力・実行力・社会性の6つの次元を計算し、そこから生存確率を先に出してから、その数字が属する区間をS+からFまでの8等級として読み取ります。だから同じ「鍛えられた生存者」でも、人によって数字が違います。さらに最も目立つ傾向によって守護者・戦略家・開拓者の三つに分かれ、結果は全部で24通りになります。
計算でいちばん手をかけたのは、弱点の重さです。6つの次元を単純に足していたら、一つがどん底でもほかの強みが埋め合わせてくれたでしょう。このテストでは、目立つ弱点が一つあると全体が掛け算で削られるように組みました。どれだけ速くても判断が崩れれば遠くへは行けない、というジャンルが繰り返してきた教訓を数字にしたわけです。もちろんこの確率は、現実の生存可能性を予測するものではありません。物語のルールで作った、遊びのための数字です。
最上位の等級にも弱点を書く理由
等級をつけるコンテンツは、どうしても片方に傾きがちです。上位は褒め言葉ばかり、下位はからかいばかりになりやすい。結果文を書くとき、私たちはその両方を避けようとしました。最上位である「最後の生存者」の守護者タイプにも、こんな一文がついています。「誰も見捨てないという原則があなたをここまで連れてきましたが、本当に全滅が迫った瞬間には、その原則が最後の退路まで閉ざしてしまうことがあります。」
反対に下位の等級は、責めるのではなく直せる反応として書こうとしました。「温室育ちの花」のあるタイプは、どのチームでも歓迎される誠実な人です。ただ、チームが悪くなってほかの人が去っていくとき、最後まで残ってしまう。結果文はそれを「その誠実さが、今度はあなたに請求されるのです。」と書いています。「真っ先に倒れる者」の一つ「部屋の中だけの豪傑」は、転職も資格も運動も考えるだけで、何ひとつ始められなかった時期を思い出させます。どれも災害ではなく、ありふれた日常の場面です。
ゾンビより怖いのは、結局のところ慣れ親しんだ自分の癖だ――アポカリプスというジャンルから私たちが学んだいちばん大きなことは、これです。怪物は世界を壊しますが、壊れた世界で何を持ち、誰を信じ、いつ去るかを決めるのは普段の私たちです。テストが示す等級は3分間の遊びですが、それを形づくった8回の選択は、明日の朝もきっと似たような形でまたやって来ます。